結婚は大人への通過儀礼。雑誌「ダーヴィンチ」二〇〇〇年六月号のアンケ−トで、結婚に関して「男は女、女は男と一結になって一人前」(男性)、「結婚して親から離れてはじめて水当の人生が始まるような気がする」(女性)という答えが寄せられている。「結婚=大人への通過儀礼」ととらえられているといえるだろう。成人式(二〇歳)がすでに形ばかりの通過儀礼となってしまった中で、結婚が真の通過儀礼として存在しているともいえるのだ。実際、クリニックを受診するある女性(二九歳)は親から、「結婚するまでは親の責任、だから早く結婚してよねと言われているんです」という。かつて子どもが大人の世界に入っていく時には元服や髪上げなどの通過儀礼があり、それによって大人であることを自覚したものである。エリアーデによると、「近代世界の特色のひとつは深い意義をもつイニシエーション儀礼(通過儀礼)が消滅し去ったことだ」という。河合隼雄は、「つまり未開社会のように、ある個人が根元的体験をして大人になったことを自覚することが非常に困難になったのである」(『母性社会本の病理』)という。こうした中で結婚は、現代における成人式的役割(通過儀礼)を批っているように思える。九九年「MORE」のアンケート調査で「結婚に際して必ずしたいこと」という問いに、八四パーセントの人が入籍を、五九パーセントの人が挙式と指輪の交換を、七〇パーセントの人が新婚旅行をあげている。結婚して入籍すること、式をあげること、旅行をすることが、大人になること、親からの独立という通過儀礼としてとらえられているともいえる。A・グッゲンビュール・クレイグ(『結婚の深川』)によると、結婚式はすべて宗教的要素を含んでいるという。フィジー島の「無信仰な」住民も、結婚式のときは聖職者の祈りが神にささげられるとしている。そうした意味では、わが国も同じように「無宗教な」国民性だが、結婚式は教会式(四六・六パーセント)、神前式(二六・六パーセント、いずれもBB白書より)で、結婚式の時だけは、宗教的要素をとり入れている。人生の中でこのように宗教的色彩でいろどられるのは死と誕生だけである。
[参考]
東京の教会結婚式
http://www.le-anges.gr.jp/chapelle/wedding.html
表参道の結婚式場
http://www.le-anges.gr.jp/