交通網の整備では、京都との物資運輸の便を図るため、明治十四年から京都〜宮津間の道路建設が着工。明治十九年には栗田トンネルが開通、明治二十二年に全通し、京都〜宮津間の乗合馬車が走りました。鉄道では良港として注目されていた舞鶴と京阪神を結ぶ路線が数多く計画されましたが、京都と舞鶴を結ぶ私鉄線「京鶴鉄道」は不況で工事が進まず、京都から園部までの営業を開始したのみで中断。大阪と舞鶴を結ぶ私鉄線「阪鶴鉄道」も福知山まで開通していたままで、永らく孤立した状態が続きました。丹後に初めて鉄道が開通しだのは、明治三十七年のこと。明治三十四年、舞鶴に日本海軍の鎮守府が置かれると、初代司令長官に東郷平八郎が任命され、ロシア防備に対する海軍の軍事拠点として重要視されるようになりました。いよいよ日露開戦が避けられなくなると、舞鶴軍港への輸送路確保のため、官設で福知山〜新舞鶴間が開通。完成と同時に、「阪鶴鉄道」に貸与され、ここに悲願であった阪神間と丹後を結ぶ直通列車が運行されました。興法寺(弥栄町吉沢)は、弥栄町の南端にある小原山の山頂付近の白竹也興法寺に所在します。和銅元年(七〇八)創建と伝わる古い由緒を持っています。現在、宮津市の智恩寺にある正応三年(二一九〇)在銘の鉄製湯船(国指定重要文化財)は、元々当寺に寄進されたものでした。かつては、当寺は眼病に利益があるとされ、参詣者の長い列が続いたといわれるほどの隆盛を誇りました。現在の本堂は、天保元年(二八三〇)に火災で焼失した後、再建されたもので府登録文化財になっています。梁行三問・桁行四囲の入母屋造りで、妻側を出入り□とする妻人です。三方に縁が回り、内部は内陣と外陣とを明確に分けるなど、密教本堂の特色が色濃く反映されています。地元の大工によって建てられていることから、近世の丹後地方の地域性を知る上で貴重な建築物とされています。
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夕日ヶ浦温泉郷